9/15/2010

フィリピンの概要

Wikipediaより・・・


フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく)、通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家。16世紀のスペイン皇太子フェリペにちなんだ国名の国である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本ルソン海峡を挟んで台湾スールー海を挟んでマレーシアセレベス海を挟んでインドネシア南シナ海を挟んでベトナムと対する。フィリピンのにはフィリピン海が、西には南シナ海にはセレベス海が広がる。首都メトロ・マニラ



先スペイン期とイスラームの流入 [編集]


タガログ人の男女
フィリピンの歴史は多様な民族とカトリシズムによって織りなされてきた。
フィリピン諸島で最も古い民族は25,000~30,000年前に移住してきたネグリト族。次に新石器文化を持った原始マレー。この後が、棚田水田農耕を持った古マレー。そして紀元前500年~紀元13世紀の間に移住してきたマレー系民族である。
スペイン人来航直前の頃は中国)や東南アジアとの交易で栄えイスラム教が広まったが、7,000を超える諸島である現在のフィリピンに相当する地域では統一した国家は形成されていなかった。西方からやってくるヨーロッパ列強に東南アジアが次々と植民地化される中、スペイン艦隊は太平洋を横断しメキシコから到来する。

フィリピン紛争 [編集]

詳細は「フィリピン紛争」、「en:Insurgency in the Philippines」をそれぞれ参照
フィリピンの共産主義勢力フクバラハップは、第二次世界大戦中に日本軍と戦い、日本軍の撤退後もアメリカ軍と独立後のフィリピン政府軍と戦闘を続けたが、1954年までにラモン・マグサイサイ指揮下のフィリピン政府軍に制圧された。1969年、毛沢東主義による革命と体制変革をめざすフィリピン共産党 (CPP)(再建共産党)は新人民軍(NPA New Peoples Army)を結成し、フィリピン政府軍に対する武装闘争を開始した。新人民軍(NPA)は、ルソン島を中心にフィリピン全国に展開し、フィリピンの軍隊・警察・インフラ・企業に対する武力攻撃を繰り返し、フィリピン政府軍は新人民軍(NPA)の武力攻撃に対して掃討戦を継続しているが、海外のテロ支援国家の支援を受けるNPAを完全制圧することは難しく、2007年10月現在、武力行使は継続中である。
ミンダナオ地区にイスラム教で統治する自治区を作ることを目的としたモロ国民解放戦線MNLF Moro National Liberation Front)は、1970年にフィリピン政府軍に対して武装闘争を開始し、モロ国民解放戦線(MNLF)と政府軍の武力紛争は1996年まで継続した。1996年、モロ国民解放戦線(MNLF)はフィリピン政府との和平協定を締結して武装闘争を終結し、フィリピン政府はミンダナオ地区にモロ国民解放戦線(MNLF)のイスラム教による自治を受け入れ、現在はミンダナオ・イスラム自治区の与党として活動している。
モロ・イスラム解放戦線MILF Moro Islamic Liberation Front)は、モロ国民解放戦線(MNLF)がフィリピン政府と和平協定を締結しようと方針転換したことに反対し、フィリピン政府軍との武力闘争を継続するために、1981年モロ国民解放戦線(MNLF)から分離独立し、フィリピン政府軍に対して武装闘争を継続した。1997年、モロ・イスラム解放戦線(MILF)はフィリピン政府と停戦協定を締結したが、その協定は2000年にエストラダ政権により破棄された。2003年、モロ・イスラム解放戦線(MILF)はアロヨ政権と停戦協定を締結したが、2005年モロ・イスラム解放戦線(MILF)は停戦協定を破棄してフィリピン政府軍に対する武力攻撃を再開し、2007年4月現在、武力行使は継続中である。
アブ・サヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group)は、フィリピンのミンダナオ島、スールー諸島、ボルネオ島、および、インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマーなどの東南アジア地域にイスラム教で統治する国家の設立を目ざして、1990年にフィリピン政府に対して武装闘争を開始した。アブ・サヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group)は、フィリピン政府軍および一般市民に対して爆弾攻撃、暗殺、誘拐・監禁、身代金要求を繰り返し、2000年以後は活動地域をマレーシア、インドネシアへも拡大し、2007年4月現在、武力闘争を継続中である。
フィリピン政府は新人民軍(NPA)、モロ・イスラム解放戦線(MILF)、アブ・サヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group)の武力行使に対して、フィリピン軍とアメリカ軍による武力掃討とともに、武装勢力の指導者との対話・交渉による、和平協定の締結、武力紛争の終結、武装解除を目ざしているが、2007年8月現在武力紛争は継続中である。
フィリピン政府と反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線は、2009年12月2日に共同声明を出し、2008年8月に決裂した和平交渉を8,9両日に仲介国マレーシアクアラルンプールで再開することを明らかにした。

米比関係 [編集]

詳細は「米比関係」、「en:Philippines – United States relations」をそれぞれ参照
米比戦争でフィリピン人反抗者に多大な死者が出ていたのにも関わらず、基本的にフィリピンは親米的であり、アジアの中ではアメリカに対する好感度が高い国である。フィリピンは植民地から独立したが、アメリカが介入した朝鮮戦争ベトナム戦争にも参戦し、現在行われている対テロ戦争にも参戦、反対世論が多かったイラク戦争も支持しており、東南アジア条約機構米比相互防衛条約を結んでいる。
英語教育が進んでいるために海外では出稼ぎに大いに役立ち、この影響でフィリピンは英語圏での出稼ぎに大いに役立っている。
1965年にアメリカの移民法が改正されるまではフィリピンからは年100人がアメリカに渡れるに過ぎなかったが、国別人数制限が撤廃され、より多くのフィリピン人がアメリカに入国できるようになった。この時期の出稼ぎは主として医師、看護師、技術者、歯科技工士など高度な専門職に就く者が多く、また1960年代にはホテルのボーイやメイド、看護師、家政婦などの職を得てヨーロッパに渡る者も出始めている。近年、旬な職業は「看護師」と「IT技術者」と言われており、特に看護婦不足のアメリカでは看護師資格で永住権が優先されるために家族も呼び寄せてそのまま移民するケースもあるという程である[3]
しかしフィリピン人の富裕層やエリート層がアメリカなどの英語圏に移住してしまうケースが多く、優秀な人材が海外へ移住してしまうケースが多いため、これが経済発展を妨げている。
現在ではフィリピン系アメリカ人Filipino American)はアメリカで2番目に多いアジア系で、移住や高い出生率で年々増加し、現在400万人存在する[4]

経済 [編集]

詳細は「フィリピンの経済」、「en:Economy of the Philippines」をそれぞれ参照
アメリカ合衆国による植民地政策では農業政策が失敗し、スペイン時代のプランテーション農業に基づく地主と小作人の関係が現在も続いている。この地主は全国に数十人おり、彼らの家族が国土の半分以上の土地を所有している。農村部では半数以上が一日1ドル以下の生活をする最貧困層である。これが南部イスラム地域では75パーセント以上が最貧困層である。
食料の自給率は遅々として回復せず、国民の生活は昨今の穀物価格の高騰やベトナム政府の輸出制限措置の影響を大きく受けている。
資源に乏しいが、農業、軽工業、サービス、セブ島ボラカイ島などリゾートを中心とした観光業が主要な産業であるため、原油価格の変動を受けにくいとも言える。90年代のアジア通貨危機でもフィリピンはIMFの管理下にならなかった。フィリピンの経常収支は800万人に及ぶ海外在住労働者の送金によって支えられている。主要な貿易相手国はアメリカ日本である。1997年アジア通貨危機のあおりを受けてペソ暴落に見舞われたが、経済がバブル状態ではなかったので、タイインドネシア大韓民国に比べると回復は早かった。南部イスラム勢力との和解成立後、ミンダナオ島にもアメリカなどからの直接投資も入り始めている。90年代前半まではタイやマレーシアなどの他の東南アジア諸国が急成長する中「東南アジアの病人」と言われた程経済成長が伸び悩んだ時期があったが、前述で述べた通りアジア通貨危機で周辺諸国ほどダメージが少なかったことが幸いしその後製造業などが伸び、ここ数年経済成長率も概ね4~6%を推移している。東南アジアではベトナム・インドネシアと共にNEXT11の一角にも数えられており、今後も経済発展が期待できる国の一つに含まれている。

マカティは、首都マニラの南東に位置する都市である。
高層ビル群が立ち並ぶフィリピンのビジネス首都の位置付けをされ、「フィリピンのウォール街」とも呼ばれる副都心である。




航空 [編集]
フィリピン航空、セブ・パシフィック航空、エアフィリピン、ゼストエアウェイズ、シーエアなどのキャリアがある。
鉄道 [編集]
フィリピン国鉄、LRTなどの鉄道路線がある。
道路 [編集]
マニラ南部ニノイ・アキノ国際空港近辺からカヴィテ州を結ぶ高速道路があるが、極短距離である。 近年は、SCTEX(Subic-Clark-Tarlac Expressway)やSkyway(マカティ-ビクータン)等の路線も開通しているが、マニラへ続く木の幹に当たる一本の幹線道路に全ての枝状の道路が集中する構造となる貧弱な道路網とあいまって、道路信号なども十分に整備されておらず、慢性的な交通渋滞が発生している。ごく短時間の間に警察官による車線規制を行い一本の道路が上り専用、下り専用道路として運用されることが有る。
以下の代表的な交通機関がある。(料金はマニラ近郊基準)
バス
初乗り25ペソ
日本の中古のバスを輸入して左ハンドルに改造したものが多い。座席は3列+2列の5列構造となっているものが多く、一席に付き25ペソである。子供を膝の上に乗せていれば料金はかからない。
ジープニー
初乗り7ペソ
詳細は「ジープニー」を参照
タクシー
初乗り25ペソ
メーターが付いているが、メーターを使わずメーター表示値の数倍相当額を要求するタクシーが多い。
トライシクル
初乗り13.5ペソ
詳細は「トライシクル」を参照
海運 [編集]
イギリスや日本と同様に島国であるため、フェリーボート、貨客船の航路が発達している。
国民 [編集]

詳細は「フィリピンの人口統計」、「en:Demographics of the Philippines」をそれぞれ参照
住民は、マレー系が大部分(全体の90%程度)であるが、過去数百年で中国系(華人)やスペイン人との混血が進み、混血率は高い。地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。混血者はラテンアメリカと同様にメスティーソと呼ばれる。その他、山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオ、ミンダナオ島などの南部在住のモロ(イスラム教徒)などがいる。
外国へ出稼ぎに行く国民が10人に1人はいる出稼ぎ国家で、外国で働く労働者が多いため、その他の混血の人も多い。その中でも、日本人、アメリカ人とフィリピン人等の民族のハーフの人が多い。
華人 [編集]
フィリピン華人の大部分は中国福建省南部の出身である。明清時代からの古い華人が多く、現地化や混血が進んでいる。元大統領コラソン・アキノも福建華人の子孫である。現在でも中国語を話し、中国の習慣になれている者は60万人から80万人程度と推定される。
人口 [編集]
2005年の人口は、87,857,473人。国連等の推計では、2020年には1億人を超え、2030年には1億1千万人、2040年には1億2千万人、2050年には1億2千7百万人になるとされる。
言語 [編集]
詳細は「フィリピンの言語」、「en:Languages of the Philippines」をそれぞれ参照
国語はフィリピン語、公用語はフィリピン語と英語であるが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらのほとんどはアウストロネシア語族に分類されるが、アウストロネシア語族の言語間にもほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。他に使われる言語にはスペイン植民地の歴史を反映してスペイン語(フィリピンのスペイン語)やチャバカノ語(スペイン語とそのクレオール言語)、中国語(北京語や福建語)、イスラム教徒の間で使われるアラビア語がある。
アメリカの植民地であったこともあり英語がかなり普及しているが、ナショナリズムの高まりと共に政府はフィリピンが一体となって発展していくためには国内全域で通用するフィリピンの共通言語が必要であるとし、タガログ語を基本としたフィリピン語を作り普及に務めてきた。現行の1987年憲法は、フィリピン語を国語と定めるとともに、「フィリピンの公用語はフィリピン語と、法律による別の定めがあるまでは英語である。」と規定し、将来はフィリピン語だけを唯一の公用語とすることを宣言した。これに伴ない公教育においても、教授言語のフィリピン語への移行がすすめられ、フィリピン人の英語力は低下傾向にある。
宗教 [編集]
詳細は「フィリピンの宗教」、「en:Religion in the Philippines」をそれぞれ参照
フィリピンは東ティモールを除けば東南アジア唯一のキリスト教国である。キリスト教はスペイン植民地時代に広まった。スペインが伝えたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者である。キリスト教徒は、フィリピンの全人口の90%以上を占める。そのうち、ローマ・カトリックが83%、プロテスタントが9%を占める。
キリスト教の他には、スペイン人到来以前にもたらされたイスラム教が南部を中心に5%、仏教などが3%である。日本を発祥とする宗教はほとんど浸透していないが、創価学会の会員が存在している。イスラム教やキリスト教が入ってくる以前は、各島の自然の精霊などを信じる原始的な宗教(フィリピン神話)があった。(フィリピンの神話上の生き物も参照されたい)。

No comments: